鈴虫を飼いたい

子供たちを連れて実家にお泊まりしました。何やら気持ち悪い昆虫を飼っていると思ったら鈴虫だそうです。道の駅で買ったと言う鈴虫は小さな虫かごの中に7匹が窮屈そうに入れられていました。見てすぐに鈴虫だと分からなかったのは、鳴き声が聞こえなかったのはもちろん、私の中の鈴虫のイメージが羽をハート型に広げて鳴いている姿だったからです。羽を閉じていると当たり前な事なのですが単に黒い虫でした。夜電気を消してしばらくしたら鳴き始めるらしいので、子供以上にけっこう楽しみにしていました。しかし、子供が眠たくなる時間の方が早かったので諦めて寝ることにしたんです。しばらくすると鈴虫の鳴き声が聞こえてきました。20年ほど前に京都の鈴虫寺で聞いて以来です。本当に鈴のように綺麗な声で鳴いていて私も欲しくなりました。でも人間も勝手なものでだんだん飽きてくると煩く感じるんです。いったいいつになったら鳴き止むのかと思っていたら夜通しけっこうな音量でひたすら鳴いていました。朝起きて鈴虫の鳴き声が聞こえた子供たちは嬉しそうに虫かごを見つめていました。そして案の定「欲しい!」と言い出したのです。おばあちゃんもおそらく少し飽きてきているのでしょう気軽に「持って帰りなさい」と言いました。冗談じゃありません。この昆虫がひしめく虫かごに手を入れて毎日キュウリや茄子を入れてやるのは私の仕事になるんです。どうせ秋が終わるまでの短い間ですが、もしかして卵を産んでいたら来年また楽しめると言うか世話が続くわけですよね。ちょっと赤ちゃん鈴虫とか興味が無いわけでもなく、子供たちの良い勉強になるかなと思わないでもないのですが、今は子供たちのお世話だけで精一杯なんです。もうちょっと子供たちが大きくなって虫の世話が出来るようになったら飼ってみてもいいのですが、今のところダンゴムシすら触れないのでそんな日は来そうにありません。すっかり子供に甘い親バカになっているので、今後とも子供たちのおねだり攻撃に屈せず生き物を飼うと言うことだけは無責任にオッケーしないと固く自分自身に言い聞かせておきました。

私が休日に行う趣味

私は休日に趣味で行なっていることがいくつかあります。まずはカラオケです。カラオケは一人で行って二時間くらい歌います。以前はカラオケに一人で行くことに対して抵抗が多少あったのですが近頃は一人で行くことになれました。私は歌を歌うことが下手くそです。いわゆる音痴です。なので一人で歌う時には採点をしてくれるのを必ずいれます。あと、場所によって変わるとは思いますが、joy sounddamではdamの方が最新曲が入っているような気がします。なので私はカラオケで歌う際は必ずdamで歌います。二時間をずっと休憩なしで歌うと流石に歌い終わった後には喉が枯れてしまいます。最近、前よりも変化があります。前までは低い声を出すことをメインの歌しか歌えなかったのですが、なれてきたのかわかんないのですが、最近は高い声を歌う曲も抵抗なく歌えるようになってきました。これは私の中で大きな進歩です。よく通うことで今までは出なかった音程の声が慣れなのかわからないのですが、でてくるようになったのが最近のカラオケでは一番嬉しかったです。
他にはコンビニのスイーツの食べ歩きをしています。ファミマやローソンやセブンイレブンを主に行っており、アイスやスイーツコーナーでめずらしいものがあったりすると金額を気にせずに買っては食べます。一ヶ月で二万円くらいは使っている勢いなので、ほぼ毎日といっていいくらいに買っています。節約をしているうえで一番の無駄遣いになっている可能性があります。しかし、スイーツを食べることが私の中ではストレス解消であり、仕事の疲れを癒す瞬間でもあるのでこれからもずっと続けていきたいと思っています。前まではこの二つの趣味をもつことすらなかったのですが、最近金銭面で余裕が出てきたのでできるようになりました。私は仕事がきついぶんお金がたくさん入るのでそのぶん自分の好きなことをたくさんできてプラマイゼロになっていると思います。私の趣味はずっと大切にしていきたいと思っています。

舞台に夢中!

もう、かれこれ20年ほど、観劇を趣味にしています。当時まだ、ステージ・映画・アート関係の情報誌を売っていたので、それを毎号買い、演劇欄を夢中になって読んでいました。そうして、慣れない遠くの土地でも芝居を観に行くようになり、すっかりハマってしまいました。私自身も演劇の経験があるので、勉強のつもりで色々興味の枝葉を広げて観ていたのです。舞台というのは本当に不思議なものです。舞台そのものの空間って、ほんとうに限られていて、狭くて、時に閉鎖的ですらあります。なのに、そこで繰り広げられる物語世界は、私の心の中でとてつもない広がりを遂げるんですね。1つ芝居を見ると、その分心の中に宇宙ができます。また次の機会にもう1つ見ると、その芝居の世界の宇宙がくっついて、心の宇宙の面積が増えた感じになる。もうずっと、今日までこの繰り返しです。20年分の宇宙です。もうすでに、無限に近いものが心にある気がしてきています。私が好きな芝居の分野は、これまた無節操という言葉が似合うほど広いです。新劇、商業演劇、小劇場演劇、アングラ、歌舞伎…キリがない状態を楽しんできました。当時自分がやっていた芝居と同じようなジャンルのものをよその劇団がやっている時と、それとは真逆の作風や形態でやっている劇団の公演、どちらも気になりました。だから、とにかく気になる公演は、時間とお金が許す限り観ようとしていたんですね。あと、歌舞伎が好きになったきっかけが、表現の引き出しがものすごく豊かな先輩の影響だったりします。相手は大先輩なのに、生意気にも、その引き出しの多さや古典の知識もひょいっと出してその場で生かす姿に、尊敬半分悔しさ半分だったんです。時代物の素養や知識も、これからの為に必要な気がして、少しずつテレビや劇場で観てきました。…歌舞伎のチケットは高い場合が多かったですからね。今は何を観ようかと迷いながら、予定を考える自分がいますが、それができるのも、過去の経験があったればこそ。その今までに感謝して、これからも楽しんでいきたいと思っています。

左手首が痛い夢

今朝、なにかストーリー性のある夢を見たのですが、それは記憶に薄いのに、ずっと左の手首が痛くて気になっている夢を見ました。
私は手首の腱鞘炎を何度かしているので、目が覚めた時、寝ている間にひねったかたしてまた痛めたのかと思っていましたが、どうも目が覚めると痛くないのです。
おやおや、痛みの感じる夢なんて珍しいんじゃないのと早速夢占いで検索をしました。
でも、なかなか手首という部位を見つけられません。
私は右利きなのですが、腱鞘炎は両手首経験しています。
夢でわざわざ左の痛みを感じるなんて、これはメッセージ性がありそうだと、今度は部位ではなく、痛みを感じる夢で探すと、やっと見つかったんです。
でも、良いものではありませんでした。
過去のことを悔やんで心を痛めていると書かれていました。
なんだろう、過去のことって。
しかも悔やんでいるのか、と思うと、何についてそんなに気にしているのか考えていました。
そういえば、昨日、こんな言葉を聞いて心に深く響いたの思い出しました。
「若いころに心を磨かなかった人は、魚のいない沼で老いたサギのように悩む」という言葉です。
最近、YouTubeのチャンネルで和尚さんがお説法を説いているのを発見して、聞いていたのですが、昨日たまたまクリックしたお悩みのが立て続けにこの話だったんですね。一見違う内容のお悩みも、この言葉ですべて説明がついてしまっていました。
世の中には、私が気づいてなかっただけで、法則のようなものが働いていて、そのことを和尚さんがお話になっていました。
最近よく見る韓国ドラマでも、不幸な人はとことん不幸ですが、そこには因果応報という法則が働いていることを描いて居たりするんですよね。
和尚様の話と韓国ドラマを結びつけるなんて、最近、私はテレビや動画を見すぎかもしれないですね。
悩みがあるときは、自分が選んだ選択肢が本当にこれでよかったのか、迷っているんでしょうね。
左手首の痛い夢はきっと、いろいろ考えて、「あれが悪かったのでは、いやいやこれかもしれない」などと自問自答を繰り返している今の私の葛藤だったのでしょうね。
考える時間があるって、思えば私はすごく贅沢だなと思いました。
そして何か、体を使って夢中になれるものを探そうかなという気持ちがわきました。

最近のニュース北朝鮮のミサイルについて

北朝鮮では、ミサイルを開発し終えて、いつでも発射可能な状態になっているという話を聞いたことがあります。これは日本にとってまた世界にとって大変な危険ができた説いていいと思います。もう北朝鮮の有力者がボタンを押せば攻撃が始まりそれをきっかけに特にアメリカが黙っていないのではと思います。もしそうなれば国をまたいでの戦争が開始される恐れがあります。ミサイルが発射されてしまえばもはや安全な場所などどこにもないと思います。世界中の上空からミサイルの雨が降り注ぎ、人類の半数以上が死滅することが十分考えられます。たくさんの罪のない人々が多く命を落とすことになります。それだけは何としても避けるべきなのです。戦争というものはどちらかが降伏宇するか滅びてしまうまで続きます。そうしたものが今また発生すればす生きているものをすべて滅ぼしてしまいます。わたしたちは先代の人々が残しきた意思を継いで生きていく必要があります。かつてチャールズ・チャップリンの遺した名画「独裁者」ではひとりの理容師の男性が独裁者に間違われたことによってトラブルに巻き込まれていく様を描いています。チャップリンらしいコミカルな場面もありながら戦争の愚かさや悲しみを痛烈に表現した作品です。戦争の悲惨さが薄れていく現代にこそ必要な映画のひとつだとわたしは思います。戦争をしたがる人々にはぜひこの作品をご覧いただいて考えを改めてくれると嬉しく感じます。きっとチャールズ・チャップリンも同じように戦争なんてやめるべきだと考えているのではないかと思います。わたしも以前事故で友人を失ったことがあります。その時にはとても悲しくしばらくは立ち直れない状態が続きました。戦争はそういった悲しみが延々と続けられてしまう無残なものだと自覚しています。お互いがお互いを理解しあい、協力し合うことが今の時代にこそ必要なことだと感じています。互いを憎み命を奪い合う戦争という行為は絶対に行わせてはいけない行為だと思います。

温泉と次男

出来るだけ子供と一緒に過ごせるように仕事を連休前後に移動させてガッツリ休みを取りました。
海に行ったり花火をしたり、温泉に行ったりして楽しみました。予め私の休みは主人に報告していましたが、結局泊まりでどこかに行く事はありませんでした。
主人はアクティブな方ですが、計画性が全くありません。子供の誕生日にケーキを予約する事すらしません。ですので、毎年ケーキ屋さんで残ったケーキを買わなくてはいけないのです。
今年の夏は予定を決めなかった割に色んな所に行きました。
温泉すらも海からの帰宅途中に見つけて立ち寄る事にしたのです。子供は二人男の子ですが、まだ1歳になったばかりの次男は私が連れて温泉に入りました。
露天風呂もジャグジーもあり、楽しめました。サウナもありましたが、さすがにこんなに小さい子を抱いては入れないと思い、諦めました。
次男はお風呂に入る度に私にしっかりとしがみ付きます。落ちてしまうのが怖いのか普段のお風呂と様子が違う事にビビッているのか・・・絶対に離れようとしません。
しかし、ジャグジーの所では慣れてきたのか、私から離すと少し泣きましたが一人でお風呂の中を探索しに行きました。
立っている背丈が丁度肩まだ浸かっている状態なので丁度いいなと思いながら、溺れないか見ていました。
ぶくぶく出てくる泡に興味津々で何度もつかもうとしていました。
お風呂から上がると畳の休憩室でテケテケ歩いて見せてくれました。
まだ手を引かないと歩けないのですが、この日はとうとう一人でよちよち歩く姿を私に見せてくれました。
もう少ししたら長男の様に一緒にお風呂には入れないと思うと寂しい気持ちになりました。
今はまだ目が離せませんが、この時期を大事に一緒に過ごしたいと思います。
次にまとまった休みが取れるのは年末です。いつかはきちんと宿泊するつもりで温泉に来たいと思っています。
夫婦そろって苦手な方ですがきちんと予定を立てようと思います。